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仙台高等裁判所 昭和32年(う)566号 判決 1958年3月13日

控訴人 被告人 呉[王景]姫

検察官 鷲田勇

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴趣意は、弁護人勅使河原安夫および同高橋万五郎名義の各控訴趣意書記載のとおりであるから、これを引用する。

控訴趣意に対する当裁判所の判断は、次のとおりである。

勅使河原弁護人の控訴趣意第三点および高橋弁護人の控訴趣意第一点について、

論旨は、被告人は大正一一年に当時日本人であつた朝鮮人を父として出生したもので、国籍法上日本人であり、その後日本人たる国籍を喪失した事実がないから、被告人に対しては外国人登録法の適用がない、というに帰する。

明治四三年の韓国併合条約により朝鮮(韓国)は日本の領土となり、同時に朝鮮人(韓国人)はすべて日本人となつた。しかしながら、朝鮮は統治上別箇の法域とされ(共通法参照)、旧国籍法は内地のほか台湾、樺太のみに施行されて朝鮮にはついに施行されなかつた(明治三二年勅令第二八九号国籍法を台湾に施行するの件、大正一三年勅令第八八号国籍法を樺太に施行するの件参照)。而して旧国籍法の解釈としては、同法によつて得喪される日本の国籍は、固有の日本人である内地人、台湾人、樺太土人たる身分であり、朝鮮人たる身分の得喪したがつてその結果としての日本の国籍の得喪は、慣習と条理によつて決せらるべきものとされていた。終戦後の昭和二五年七月一日新国籍法が施行され、同時に旧国籍法は廃止されたが、叙上のような日本法制の建前から考え、終戦後新に発生した政治上の事態に即応する観点に立てば、新国籍法によつて得喪される日本の国籍は、固有の日本人たる身分であつて、朝鮮人、台湾人、樺太土人たる身分の得喪は、同法の律するところではないと解すべきである。以上の見解にしたがえば、被告人の検察官に対する供述調書により明らかであるとおり被告人は大正一一年三月四日朝鮮人呉尚俊を父として出生したものであるから、当時の慣習および条理により朝鮮人たる身分を取得し、したがつてその結果として日本の国籍を取得したが、所論のように旧国籍法によつて日本の国籍を取得したものではなく、また、新国籍法によつてあらためて日本の国籍を取得したものでもないのである。

ところで、昭和一八年一一月二七日のカイロ宣言は、朝鮮民族の要請に応えてその独立回復の条項を規定し、昭和二〇年七月二六日のポツダム宣言は、これを再確認した。日本は、同年八月一〇日のポツダム宣言受諾の申入ならびに同年九月二日の降伏文書によつて右条項の履行を約し、ついで、昭和二七年四月二八日発効の平和条約第二条(a)において正式に朝鮮の独立を承認し、朝鮮およびその附属諸島に対する一切の主権を放棄した。国家の領土の一部がその領有国の支配を離れて独立した場合に、それに伴つて一部の住民につき国籍の変更を生ずる。その独立によつて、独立した領域に居住するその領域出身者の国籍に変更を生ずるのが普通であるが、旧領有国内に居住する独立した領域出身者の国籍が当然に変更されるということはない。この点については、国際法上確立した原則はないのであつて、いかなる範囲の住民について国籍の変更を生ずるかは、当事国間の条約によつて決定されるのが通常である。ところが、論旨もいうとおり、日本と朝鮮(大韓民国もしくは北鮮人民共和国)との間に国籍の問題に関する条約は、今日に至るもまだ成立していないのである。しかしながら、日本が平和条約の前記条項において朝鮮の独立を承認したのは、かつての独立の民族国家朝鮮が日韓合併により喪失したその独立を回復する事実を承認したことに外ならないから、日本は、右独立の承認によつて、朝鮮人については現に朝鮮に居住する者であると日本に在住する者であるとにかかわりなく、日韓合併当時韓国籍を有していた者および右合併がなかつたならば当然韓国籍を取得したであろうと認められる者のすべてが日本の国籍を離脱することを承認したものと解すべきである。したがつて、平和条約発効後においては、朝鮮人の国籍に関する関係国間の条約の締結をまつまでもなく、すべての朝鮮人は、少くとも日本の国内法の関係では日本の国籍を喪失し、外国人たる身分を取得したものといわなければならない。されば、原判決が被告人を外国人登録法にいわゆる外国人と認め、その判示する同法違反の行為に対してその摘示の法条を適用処断したのは正当であつて、所論のように事実を誤認したものまたは法令の解釈適用を誤つたものということはできない。

論旨は理由がない。

勅使河原弁護人の控訴趣意第二点について、

憲法三九条の何人も実行の時に適法であつた行為については刑事上の責任を問われないとの規定は、実行の時の法によつて処罰の対象とされなかつた行為について、その行為の行われた後にこれを罪とする法律を制定することおよびかような法律によつて刑罰を科することを禁止する趣旨であつて、通例事後立法の禁止または刑罰法不遡及と呼ばれる原則を定めたものである。したがつて、日本が朝鮮の独立を承認したことにより朝鮮人が日本の国籍を喪失したがゆえに、これを外国人として取り扱うことは、憲法の右規定と全くかかわりのないことである。また、昭和三一年法律第九六号による改正前の外国人登録法一一条二項および右改正後の同法一一条一項は日本に在留する外国人に対し外国人登録証明書の切換交付の申請手続を定め、右改正前後の同法一八条一項二号は、右切換交付の申請に関し虚偽の申請をした者等に対する刑罰の制裁を規定したものである。而して、右罰則は、同法の施行日(平和条約発効の日)以後に行われた右違法行為に適用さるべき筋合のもので、その施行日前の朝鮮人が日本人であつた当時におけるなんらかの適法行為を処罰の対象とする趣旨を含むものではないから、憲法の定める前掲原則と抵触するものでないことはいうまでもない。論旨は独自の見解に基く主張で、採るに足らない。

勅使河原弁護人の控訴趣意第一点および高橋弁護人の控訴趣意第二点について、

被告人の経歴、境遇、犯行の動機等において憫諒すべき点のあることは、所論のとおりである。されば原判決もまたそれらの点を斟酌して被告人を偽造公文書行使罪の法定刑中最低の懲役一年の刑に処し、二年間その執行を猶予する旨の言渡をしたものと思料されるのであつて、その他記録に現われた諸般の情状を検討しても、更に刑を軽滅すべき事由を発見することができない。論旨は理由がない。

よつて、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却すべきものとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 門田実 裁判官 斎藤勝雄 裁判官 有路不二男)

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